KENです。
前回は、ギロチン待合室と呼ばれたコンシェルジュリーの紹介をしました。
今回は、ギロチン処刑繋がりということでコンコルド広場を紹介します
アイキャッチ画像は、コンコルド広場の象徴「オベリスク」
1836年に建てられした。
エジプトのメフメット・アリ太守から贈られたものです。
コンコルド広場(Place de la Concorde)
王侯貴族合わせて1343名がギロチンの刃にかけられました。
有名な人物には次の四人が挙げられます。
- マリーアントワネット
- その夫ルイ16世
- ギロチン刑を断行しまくった革命家ロベスピエール
- 革命家マラーを殺したシャルロット・コルデー
※アントワネット、ルイ16世、ロベスピエールは「ベルサイユのばら」の主要人物です。
マンガを読むと、より分かりやすく、より深く理解が出来ますよ!
ベルサイユのばらを読んでみた!前編 - お土産大好きKENさんの素人旅行はいかがでしょうか |
コンコルド広場は昔、花と緑が綺麗な広場でした。
しかし、革命が起きると花は荒らされ、地面は処刑された人たちの血が地面に染み込んでいたそうです。
時代の流れと共に、ルイ15世広場→革命広場→コンコルド広場と名前を変えていきました。
前回紹介した、市庁舎前広場も、処刑ブームの時にはグレーブ広場という名前でした。
血なまぐさい歴史を隠したかったわけです。
ギロチンがブームの時は、まさに革命時代で革命広場と呼ばれていたわけです。
ギロチンの由来(Guillotine)
※ドイツのローテンブルクにある中世犯罪博物館にあった小ぶりのギロチン台です。
ギヨタン医学博士が「処刑はみな平等に苦しまずに一瞬でおこなわれるべきだ」と発言しこれがきっかけでギロチンが作られます。
こいつ何ゆーてんねん、頭おかしいやろ
と思う方もいると思います。
ギロチンが出来るまでは、国や政府が堂々と残酷な処刑をしていました。
例えば
- ジャンヌダルクの火あぶり
- アンリ4世を暗殺したラヴァイヤックの四つ裂き(馬四頭に両手両足を引かせる)
- その他、残酷すぎて書けません!
それぞれ記事があるので興味がある方は参照ください。
フランスその16(ルーアン編PART6)【ジャンヌダルクのお土産&処刑広場&教会】 - お土産大好きKENさんの素人旅行はいかがでしょうか |
フランスその60(パリ編PART37)【偉大なアンリ4世と酷い拷問を受けた暗殺者】 - お土産大好きKENさんの素人旅行はいかがでしょうか |
一瞬では死ねず地獄の苦しみなわけです。
地獄の苦しみに比べるとギロチンは、
「首筋に軽いそよ風を感じた瞬間にはあの世行き」
とギヨタン博士が皮肉を込めて言ったそうですが、まさにその通りだと。
実際、民衆はギロチン処刑を見て
「一瞬で終わってつまんねえの、やっぱ処刑は首くくりだぜ!」
といった感想を持ったそうなので、みんなおかしくなっていたのかもしれません。
おかしくなったと言えば、実際処刑を行う死刑執行人です。
死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)
執行人の多くが自殺したり、アル中になったり、夜な夜な亡霊に苦しめられてノイローゼになってしまったそうです。
他にも、人里離れたところで仙人のように暮らしたり、名前を変えたりして別の人生を生きた人もいます。
加えて、執行人の一家は世間からも孤立させられ、服装は一般人と違う服装に、教会では1番うしろに座らなければならないなど煙たがられたとのこと。
結果、執行人は世襲制になり、特にパリでは「ムッシュ・ド・パリ」と呼ばれたサンソン一家が専属執行人となりました。
パリで処刑された有名人のほとんどは、全てサンソン一家が執行人なので名前を覚えておいて損はないですよ。
最後に、執行人はある意味人体のプロなので、下手な医者に見せるよりも執行人に見てもらう方が信用出来るという皮肉な結果になったそうです。
執行人は、拷問をするために何度も受刑者を回復させなければならないため、治療に精通していたわけです。
アル中とエナジードリンク
アル中の話が出てきたのでついでに書きますが、最近はストロングゼロ中毒が問題になっています。
そもそもチューハイは日本だけの文化です。
ヨーロッパのスーパー等で見たことがないです。
ただ、レモンやチェリー等のフルーツ系のビールは増えています。
また、エナジードリンクの種類は、日本よりもヨーロッパの方が圧倒的に多いです。
スーパー独自に、プライベートブランドでエナジードリンク販売しているところも多いので、買い出しに行く際はエナジードリンクコーナーを見てみると面白いかもしれません。
ただし、チューハイと同じく飲みすぎにはご注意を
次回は、実際に処刑された人を紹介して、ギロチンは結局どうなったのかを説明します。
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