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【サント・クロワ大聖堂にあるジャンヌダルクの生涯が描かれた10枚のステンドグラスを一挙公開】フランスその98(オルレアン編PART2)

pierre et Jeanne d'Arc

KENです。

前回は、オルレアン(Orléans)に到着しトラムで街の中心部まで行きました。

今回は、この街最大のハイライトであるサント・クロワ大聖堂(Cathédrale Sainte-Croix d’Orléans)へ向かいます。

アイキャッチ画像は、大聖堂内にあったもの。ピエールとジャンヌダルク(pierre et Jeanne d’Arc)と書いてあります。

ピエールって誰よと思って調べてみたら、なんとジャンヌダルクの兄!

今までジャンヌダルクについて調べてきたのですが兄弟の話は初めて知りました。ちなみにこのピエールさんですが、オルレアンで死亡したとのこと。めっちゃ関係してるやん!

まず、ジャンヌダルクが生きた時代の背景について少し説明します。

ジャンヌダルクは百年戦争(1337/11/1/~1453/10/19)と呼ばれたイングランドとフランスで行われていた戦争の後期に出て来ます。

オルレアンは百年戦争において重要な場所であり、ジャンヌダルクが一躍有名になった場所でもあります。

堅苦しい話は苦手なのですが、歴史を多少知っておくとステンドグラスや絵画の意味が分かってくるので、それはそれで面白いです。

※基本的に時間がないので先に調べておかないとわけがわからないてのもあるのですが

百年戦争(Guerre de Cent Ans)

百年戦争とは、出来るだけ分かりやすく説明すると

イングランドの王であるノルマンディ公が、フランスではフランス王の臣下であるという特殊な事情が発端です。

ノルマンディ公はフランス王に忠誠を誓うことでフランスの土地を借りていました。これを封建関係といいます。

で、ノルマンディ公がイングランドで領土を拡大していく中で、フランスも領土にしてやると考えました。

そこで、ノルマンディ公がフランス王にもう忠誠なんか誓いたくないし土地も返さないよーと反旗を翻したのが戦争のきっかけです

※厳密にはこれだけが理由ではありません。

百年戦争前期に活躍したイングランドのエドワード黒太子という人物がいるのですが、以前訪れたイギリスのカンタベリー大聖堂(Canterbury Cathedral)にお墓があります。コチラも参考にしてください。


イギリス2017その42(カンタベリー編PART10)【大司教トマス・ベケット特集】 - お土産大好きKENさんの素人旅行はいかがでしょうか

 

戦争自体はイングランド側の勝利が多かったようで、徐々にイングランド側が勢力を伸ばしていきます。

フランス軍は騎馬隊などで特攻をする戦法が好きだったらしいのですが、イングランド軍は弓矢を放って攻撃をするのが得意だったようで、結果は明らかです。飛び道具には勝てませんよね。

前座はここまでにして百年戦争後期の話をします。

オルレアン解放戦(Siège d’Orléans)

この頃はさらに事情が複雑になっており、王太子シャルル7世率いるアルマニャック派とブルゴーニュ派によるフランス国内での内乱が起きていました。

ブルゴーニュ派は、なんとイングランドと手を組んでアルマニャック派を潰しにかかります。

このような状況で、オルレアンでの戦いが勃発します。まず、オルレアンはアルマニャック派です。

1429年、中央フランスの要所であるオルレアンはイングランド軍(ブルゴーニュ派)に包囲されてしまいます。

今は残っていませんが、この時代にはオルレアンは城壁に囲まれており、イングランドは周囲に砦を作って兵糧攻めをしていました。

要は回りを囲んで武器や食糧を運べなくし、フランス側の空腹を待って降伏してもらう作戦です。

城壁にハシゴをかけて攻撃をするのは極めてリスクが高いので時間がかかっても被害の少ない兵糧攻めは良い作戦だったわけです。

ジャンヌダルクは、シノン(Chinon)、ブロワ(Blois)、と南西の方角からオルレアンへやってきます。私もブロワからやってきました🚄

しかし、オルレアンの南側からオルレアンへ向かうにはロワール川を渡らなければなりません。

既にオルレアンを繋ぐ橋(現在のジョルジュ・サンク橋あたり?(Pont Georges V))はイングランド軍の侵攻を防ぐために、オルレアン軍によって既に落とされていました。(トラムに乗ればロワール川とその橋まで行けます)

そこで、ロワール川を船で渡ります。ここ大聖堂より東は兵が手薄だったとのことで、そこに近いところに船で渡って無事にオルレアン上陸をしたわけです。

うーん、ロワール川見たかったあ⛵
ここまで行けば城壁の名残とかあったかもしれませんね。

で、ジャンヌダルクがどうやってオルレアンを開放したのかと言うと、来た道を戻るように攻めたわけです。

街の東は手薄だったので、東を制圧してからロワール川を渡って、川沿いの砦を攻略します。

オルレアンと川を繋ぐ橋のところにイングランド軍の最大の拠点であるトゥーレル砦があったので、砦を落とし、イングランド軍のボスを倒すとイングランド側は撤退し、ジャンヌダルクは見事オルレアンを開放したわけです。

 

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サント・クロワ大聖堂(Cathédrale Sainte-Croix d’Orléans)

まず、サント・クロワとは聖十字架を意味します。

元々は4世紀、ローマ帝国時代に見つかったイエス・キリストの磔刑に使われたと言われる十字架が聖地で見つかったのを期に330年頃に着手され、450年頃に出来上がったのが始まりだそうです。

ちなみに、キリストの磔に使われた十字架を発見した人物は聖ヘレナで、キリスト教に改宗したローマ皇帝コンスタンティヌスの母です。

その十字架の一部は、パリのノートルダム大聖堂にあります。ただし、見られる日が限られています。

詳しくはコチラを参照してください。

 

 

大聖堂にはジャンヌダルクの生涯を描いた10枚のステンドグラスがあります。

ステンドグラスは1893-1897年に造られました。ステンドグラスの順番に合わせて、説明をしていきます。大聖堂の中に番号を振った看板が置いてありますよ。

大聖堂へ入って左手に1-5が、右手に6-10のステンドグラスがあります。

10枚のステンドグラス(10 vitraux)

1.故郷のドンレミ(Domrémy)で神のお告げを受ける
金の鎧をまとっているのが大天使ミカエル・剣を持っているのが聖カトリーヌ・ジャンヌダルクにささやいているのが聖マルグリットです。

この村は神聖ローマ帝国が近かったり近くの泉には聖女がいるみたいな話もあってどこか神秘的な要素を持つ村だったそうです。

2.ヴォークルール(Vaucouleurs)の街へ向かう

神のお告げを聞いたジャンヌダルクは、ヴォークルールの街へ行き、そこの守備隊長のロベール・ド・ヴォードリクールに会いに行きます。

ヴォードリクールは、彼女に剣と馬を揃え、騎士一人、平騎士一人、従者四人を護衛につけてくれたそうです。

3.シノン城(Forteresse royale de Chinon)で本物のシャルル7世を当てて見せる

何その話てなりますが、まずこの時点ではお互いに面識がありませんでした。

そこで、ジャンヌダルクが本当に神のお告げを受けたなら本物の私(シャルル7世)が見分けられるだろうというテストを出して見事テストに合格したシーンです。

具体的には、

ジャンヌは、本物のシャルル7世(赤い帽子)に「王太子殿下に神のご加護がありますように」と声を掛けた。その場には王よりも贅沢な身なりをした貴族もたくさんいたので、王は「ジャンヌ、私は王ではない。王はあれだ」と臣下の貴族を指さした。

しかし、ジャンヌはそれに騙されることなく「陛下、神に誓って王はあなたです。他の誰でもありません」と答えたとのこと。

このやり取りが行われたのがシノン城の王の広間です。残念ながら今は廃墟になっていますが、城自体はまだ残っていますのであさって行く予定です。

4.オルレアン到着

5.トゥーレル砦の開放

百年戦争の話でも説明しましたが、オルレアン解放戦にてイングランド軍最大の拠点でした。そこをジャンヌダルクが攻めて見事勝利を収めました。

 

6.サンクロワ大聖堂で神に感謝する

工事中で正面から撮影できませんでした

調べた感じではここで感謝をしたような話は聞いたことがないのですが、まあ多少の脚色はありかと。

7.シャルル7世、ランスの大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Reims)にて戴冠式を受ける

ランスには1度行ったことがあります。フランスの歴代の王はここランスで戴冠式をするのが通例でした。ランスにもジャンヌダルク像がありますし、ランスについては機会があれば書きます。

8.コンピエーニュ(Compiègne)でイングランド側に捕らえられる

コンピエーニュとはパリから北にあります。

オルレアンとは逆に、今度はフランス側がパリの城壁を突破しようとハシゴをかけて攻めようとします。

がしかし、先程も述べましたがこの戦法は大変難しいのでジャンヌダルクといえどうまくいきませんでした。

パリの攻略に度々失敗しその近辺をウロウロしているところをイングランド軍に捕まってしまいました。

今回の旅行でパリの城壁跡も撮影しましたのでこの後のお楽しみということで。

9.ルーアン(Rouen)の牢屋に入れられる

10.ルーアンのヴュー・マルシェ広場にて(Place du Vieux Marché)火あぶりの刑にかけられる

牢屋~火あぶりまではルーアン(Rouen)で行われました。ルーアンには1度行ったことがあります。

そもそも今回の旅行でジャンヌダルク関連の場所へ行こうと思ったのはルーアンの記事を書いたからです。

その時の記事はコチラ


フランスその16(ルーアン編PART6)【ジャンヌダルクのお土産&処刑広場&教会】 - お土産大好きKENさんの素人旅行はいかがでしょうか

 

微妙にジャンヌダルクの絵柄がステンドグラスによって違うよなあと思ったら、どうやら二人(J.Galland & E.Gibelin)の手によってステンドグラスは作られたそうです。

ジャンヌダルクの魅力

※写真はルーブル美術館にあるものでドミニク・アングルの作品です。タイトルはシャルル7世の聖別式でのジャンヌダルク

農民の出身、神の声を聞いた神秘性、男顔負けの勇敢ぶりなど挙げればきりがありません。

あとさまざまな絵画などがありますが、実際に会って描かれたものは1枚もないらしく、描き手次第で全然絵柄が違います。

他にはナポレオンが国策として私はジャンヌダルクと同じ選ばれし者と言って英雄扱いをしたり、ジャンヌダルクゆかりの地だし観光名所にしたろといった色々な思惑も絡んでジャンヌダルク像が一人歩きしているのも面白い点です。

次回は、お土産タイムに入ります。

関連商品・・・ジャンヌダルクを演じたのはバイオハザードシリーズの主人公アリス役で有名なミラ・ジョヴォヴィッチです。

監督がトランスポーターシリーズのリュック・ベッソンなのでアクション性の強いものになっていて中々見ごたえがあります。映画内の宗教観や歴史についてはあまり考えずに鑑賞ください。

ジャンヌ・ダルク(字幕版)

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