KENです。
前回は、シノン城(Forteresse Royale de Chinon)までの坂道が面倒だなと思っていたところにエレベーターがあることが判明し、楽々城の近くまで到着しました。
今回は、入城する前に少しだけ城の歴史を勉強します。
アイキャッチ画像は、ちょっとフライングして城内の時計塔と呼ばれた場所にあるプレート
まずはチケットオフィスへ
チケットの料金は大人1人9ユーロでした。入口の前に若いお兄さんがいるのですが、「Where are you from?」と聞かれたのでジャパンと聞いたら、簡単に日本語で挨拶をしてくれました。
どうやら日本好きとのことで、ドラゴンボールに出てくる魔人ブウのTシャツを着ていました。
魔人ブウのお兄さんの話によると、ICチップ付きのパンフレットを各部屋でかざすと音や映像が再生するとのことだったのですが、日本語版がない・・・。
その代わり日本語で書かれた紙があるので、紙に書かれた通りに進んでほしいとのことでした。紙を見ると普通に読める日本語でルートが書いてあり、見学の最後には喫茶店でシノンワインを楽しんでねと書いてありました。
シノンワインはAOCというフランスの良いワインに付けられる称号を持っています。時間のある方は見学後に喫茶店に寄ることをオススメします。
私が調べた限りでは、日本のツアーではシノンにほとんど来ないようだったのですが、細かいサービスが行き届いていて日本人的にもポイントが高いです。エレベーターもありますしね。
ということで日本語の紙と、英語版のICチップ付きパンフレットを借りて城の中に入ります。(ICチップ付きパンフレットは最後に返却します)
広い城塞ではないので、ほんとにパパっと回ると小1時間で回ることが出来ます。
公式ページのリンクを貼っておきます。各場所をクリックするとザックリとした説明が書かれています。
シノン城の歴史
城に入る前に少しだけ歴史のお勉強をしたいと思います。
この城の歴史は古く、ガリア・ローマ時代の武器や食器などが発掘されています。ガリア・ローマ時代は良く知りませんが紀元前らしいです。「賽は投げられた」で有名なユリウス・カエサルの部隊が使っていた武具もあったらしいです。
ヘンリー2世(Henry ii)
話は一気に12世紀頃に飛びますが、この頃はイングランド王のヘンリー二世(Henry ii)が所有することになります。なんでイングランド王がフランスの領地を持ってるのかというと、ヘンリー2世がノルマンディ公であることが関係しています。
イングランドの王であるノルマンディ公が、フランスではフランス王の臣下であるという特殊な事情があって、ノルマンディ公はフランス王に忠誠を誓うことでフランスの土地を借りていました。
このなんとも微妙な関係が崩れるきっかけとなったのが有名な百年戦争です。先程立ち寄ったアンジェ城の黙示録のタペストリーのモチーフにもなったエドワード3世が百年戦争を起こした張本人です。
このキモイ馬の化け物がエドワード3世だよ
話をヘンリー2世に戻して、ヘンリー2世はイングランドでの布教をトマス・ベケットという部下であり友人に任せます。ベケットはイギリスのカンタベリー(Canterbury)で布教をするのですが、ベケットは次第に対立をし始めます。
そこで怒ったヘンリー2世は、「誰がわたしのためにこの激しい司祭を排除してくれるのだ?」と言ってしまい、それを聞いた四人の騎士が話を真に受けて、カンタベリー大聖堂でトーマスを殺害してしまいます。
カンタベリーには2017年に訪れたことがあるので、興味のある方はコチラもどうぞ。
結局、ヘンリー2世は友人を失い、さらにこの事件がきっかけで息子に裏切られることになりシノン城で憔悴しきって亡くなってしまいます。
シャルル7世とジャンヌダルク(Charles vii & Jeanne d’Arc)
さらに時間は流れて、15世紀初期はシャルル7世が所有することになります。
シャルル7世は王の住居(Royal Residence)として城の一部を改装したり、なんとテニスコートを作ったりしたそうです。テニスはこの頃にあったことが驚きです。
マンガ「ベルサイユのばら」でジュー・ド・ポームと呼ばれた手のひらでボールを打ち合う競技があったと書いてあったのでそのことかなと。手のひらからやがてラケットに変わりテニスが出来たとか。
で、肝心なのがジャンヌダルクとの出会いです。ジャンヌダルクが本当に神のお告げを受けたなら本物の私が見分けられるだろうということで、ジャンヌダルク謁見の際にシャルル7世の偽物を用意して本物はそばで様子を見ることにしました。
そこで、ジャンヌダルクは見事に本物を見破ることに成功しました。
時は流れて
16世紀終わり頃から、シノン城は戦いの拠点ではないし財政も圧迫するということで取り壊せということになります。結局取り壊しにはならなかったそうですが、17世紀頃には経年劣化で廃墟になってしまいました。
その後は個人に売却されたりしながら、1840年には歴史的建造物に指定されました。しかし崩壊の恐れがあるので再び取り壊しの危機になります。
そこでProsper Mériméeなる人物が、ナポレオン3世(Napoleon iii)に自分たちで修繕するから壊さないでくれと嘆願することで取り壊しにならず、今のシノン城が現存していることになります。
Prosper Mériméeがいなければ、間違いなく私はここに来ることがなかったのでこの名前は覚えておいて損はないと思いますよ。日本語のWikipediaには載ってないですしね。
ということで、少しだけ城の歴史を勉強したところで次回はいよいよ入城します!
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