フランスその35(パリ編PART12)【パンテオンの歴史】

Pantheon

KENです。

前回は、クリュニー美術館(Musée de Cluny)で、貴婦人と一角獣以外のタペストリーや他の教会から持ち込まれた展示品を見学しました。

今回は、パリのパンテオンへ向かいます。

アイキャッチ画像は、ローマのパンテオン前にて

正直、ローマのパンテオンは中が狭く、見るものが少ないので好きではないです。

パリのパンテオンが良いかどうかは、今回と次回でわかります。

さて、クリュニー美術館を後にして、次の目的地へ向かいます。

近くに、ソルボンヌ大学(Université Paris-Sorbonne)という大きな建物があるのでそこを横目に南へ進んでいきます。

少しすると大きな通りを東(進行方向左)にすすむと、ギリシャの神殿のような建物が見えてきます。

パンテオン(Panthéon)

Panthéon de Paris

写真に写っている4人の方々は、ごく最近パンテオンに埋葬された有名人です。

毎年、ここのたれ幕は変わるそうです。

パンテオンと聞くと、ローマのパンテオンを思い浮かべる方が多いと思います。

しかし、実はパリにもあるんです!

パリのパンテオンの周囲は、ローマに比べると観光地的にも少しマイナーなせいか、日本人含めたアジア人系の団体はあまり見掛けませんでした。

ただし、パリのパンテオンの方が断然デカいです!

ここは、かつてサント・ジュネビエーブ教会(Eglise Saint Genevieve)と呼ばれていました。

1744年、ルイ15世が重病にかかった時に、パリの守護聖人である聖ジュネビエーブに祈りを捧げました。

その時に、病気が治ったら聖堂を建てると誓い見事約束を果たしました。

余談

1774年に、ルイ15世は遊び相手の女性に移された天然痘で亡くなってしまいます。天然痘には祈りが届かなかったと。

ルイ15世の晩年については、「ベルサイユのばら」を読むとわかりやすいです。

パンテオン建設

パンテオンの大きな特徴はギリシャ神殿のような、独立円柱構造と中にあるクーポラ(天井の穴のようなもの)です。

パンテオンを建てるのにはいくつか問題が起きて

  • クーポラを支える石柱が強度不足(鉄筋を入れて補強)
  • 担当建築家のスフロ(Jacques-Germain Soufflot)が完成半ばで亡くなる

様々な紆余曲折があって、初めの草案から完成までで約50年かかってしまいました。

さらに、1789年からフランス革命のせいで、聖堂破壊が起きます。

この教会は破壊を免れたものの、最終的にフランスの英雄の遺体を安置しするためフランスのパンテオンとなりました。

そのため、墓所に似つかわしくない外壁の窓を全て埋めてしまい、偉人達の墓所にふさわしいおごそかな建物に生まれ変わりました。

次回は、実際にパンテオン内部で有名人のお墓などをを見学します。