フランスその65(パリ編PART42)【ギロチンでの処刑が行われていたコンコルド広場 後編】

Obelisk at Place de la Concorde

KENです。

前回は、コンコルド広場(Place de la Concorde)とギロチンの紹介をしました。

今回は、広場で処刑された有名人とギロチンが最後にどうなったのかを紹介します。

※アイキャッチ画像は、7/14のフランス革命記念日直前のコンコルド広場にて

花火会場が設営されていてゴチャゴチャしていました。

美しき暗殺者シャルロット・コルデー(Charlotte Corday)

シャルロット・コルデーは、革命の指導者マラーの暴挙は許しておけないと正義感と思い込みの強い女性でした。

思い立ったが吉日と言わんばかりに、身なりを整えた後に刃物店で包丁を買って、マラー邸にうまい具合に入ることが出来、入浴中だったマラーの胸に包丁を突き刺しました。

裁判の時には、どんな男がマラーを殺したんだと持ち切りになったそうですが、出てきた人物は非常に美しい女性だったので民衆を驚かせたそうです。

調べてみると中々の美人で、マラー邸に入れたのはこの美貌のおかげだったかもしれません。

処刑執行人サンソンさんエピソード

シャルロットからギロチンが見えないようにサンソンが立ちはだかると、シャルロットは「私には好奇心があるので是非見てみたいわ」と言い、わざわざ身を乗り出したそうです。

ルイ16世(Louis XVI)

マリーアントワネットの夫です。

ルイ16世は、革命によって国が王家の物から国民の物に変わる転換期にたまたま犠牲になった人物です。

国王は犯罪者だからとりあえず処刑しとけという風潮になり、361対360のたった1票の差で死刑が確定しました。

しかもその1票を投じたのは、ルイ16世のいとこだったそうです。

処刑執行人サンソンさんエピソード

正直国王を処刑するのは「一線を越えている」と考えていたので、気乗りはしなかったそうです。

しかし、職務放棄などしたら家族を路頭に迷わすことになってしまいます。

もし救出作戦が行われるようであれば、どさくさに紛れて助けたろなスタンスだったそうです。

処刑前日は一睡も出来ず、処刑執行後には生きて帰れないと思ったそうですが、結局何も起こらず普通に処刑が行われました。

マリーアントワネット(Marie Antoinette)

処刑前の最後のセリフは、死刑執行人の足を踏んだときに「あら失礼。わざとではありませんのよ」

アントワネットと夫のルイ16世の遺体は、広場から近いマドレーヌ墓地に無造作に埋葬されました。

その後、1814年に王政が復活したのち、ルイ18世の手により歴代の王が眠るサンドニ聖堂に夫婦揃って埋葬されました。

※アントワネットの最後のセリフは、「ベルサイユのばら」ではカットされていました。

アントワネットは、もっと悲劇のヒロインのように描かれていましたね。

ロベスピエール(Robespierre)

フランス革命家の一人でとりあえず、ダントン、マラー、ロベスピエールの3人は覚えておけらしいです。

ダントンとマラーは豪胆で激しい扇動者だったようですが、ロベスピエールは冷徹と言えるほどの冷静さと人の心を動かすカリスマ性を持っていました。

少しでも疑いがある人物は片っ端から処刑していきました。

例えば、雑誌で批判されたので処刑とかです。

そしてマラーは暗殺、ダントンは公金横領がばれて処刑されたので、ロベスピエール一強時代になります。

しかし、民衆はさすがにやり過ぎたと感じ始めます。

政治家の中にも、彼の独裁政治を許したら次に処刑されるのは自分かもしれないと思う人が増えたため、結局ロベスピエール自身もギロチンにかけられました。

ロベスピエールは、一度銃自殺を図りましたが、失敗しコンシェルジュリーで治療を受けて、血を垂らしながらコンコルド広場まで連れていかれました。

ギロチンは今…

1795年、ロベスピエール処刑後にギロチンは一度グレーブ広場へ戻ります。

主に刑事犯罪の処刑を行う目的に使われるようになります。

で、ギロチン会場はあちこち転々とします。

1889年パリ万博が開催されますが、万博に合わせて作られたあのエッフェル塔の完成よりも、公開ギロチンの方が話題になったそうです。

1939年、ベルサイユ監獄前の広場で最後の公開処刑が行われました。

殺人犯ワイトマンの処刑でしたが、この日は最後の公開処刑ということで、大群衆が集まって前夜祭が行われました。

花見と同じような飲み食いが行われたそうです。

政府がこの様子を見て、「これは流石にないな」と思い、これ以降ギロチンによる処刑は非公開となりました。

で、最後にギロチン処刑が行われたのが、1972年11月28日で犯罪者2名を処刑しました。

ということで、ギロチンがなくなってから50年もたっていないことになります。

ちなみに、アントワネット200回忌にはコンシェルジュリーからサントノーレ通り(Rue Saint Honoré)を通ってコンコルド広場まで歩こう行列が開催されたそうです。

ギロチン置き場巡りも出来そうだなあとふと思いました。

最後に、ギロチン台は公開オークションに売り出され、特に有名人を処刑したギロチンの刃の部分が高額取引されました。

死刑執行人のサンソンさんは無欲だったため、オークションなどで売るようなことはしなかったそうです。

ツッコミ担当

あんた良い人やね

日本にもパリにもギロチンあるよ!

東京お茶の水の明治大学博物館にギロチンのレプリカがあるそうなので、暇な方は見に行ってもいいかもしれません。

ギロチンについて色々書きましたが、本物は一度も見たことがないのでそのうち本物が見たいところです。

パリの警察博物館にギロチンの刃があるそうなので、次にパリに行く時は間違いなく見に行きます。

次回は、ノートルダム大聖堂へ向かいます。

2018/09追記

警察博物館で本物のギロチンを見ました

2018年夏に実際見に行きました。

記事を書いたらリンクを貼るのでもう少々お待ち下さい