KENです。
前回は、いつまでたってもリニューアルオープンしない百貨店ラ・サマリテーヌ(La Samaritaine)を見てから、パリ最古の橋ポン・ヌフ(Pont Nuef)を渡りました。
今回は、橋を渡った先にあるアンリ4世像を観賞します。
アンリなんちゃらて名前多すぎ!
アンリ4世(Henri IV)
この像が出来たのは1614年なのですが、アンリ4世が亡くなったのは1610年なので、没後に建てられたことになります。
アンリ4世は、フランスの歴史において重要な人物の1人です。
前回渡ったポン・ヌフの建設を指示したのもアンリ4世です。
※厳密には宗教戦争で中断していた建設をアンリ4世が再開させました
宗教戦争とはザックリいうと、カトリック・プロテスタント・王権の3つ巴の戦争のことです。
アンリ4世は元々プロテスタントだったのですが、フランスの王として即位後、パリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂でカトリックに改宗しました。
この後、プロテスタント信仰を制限付きで認める「ナント王令」を発行し宗教戦争を終結させました。
サン・ドニ大聖堂には、歴代国王の墓がありアンリ4世も没後この地に埋葬されました。
サン・ドニ大聖堂には行ったことがないのですが、サン・ドニ門(Porte Saint-Denis)には行ったことがあります。
凱旋門の1つであり、とても見ごたえがあります。興味のある方はコチラをどうぞ
アンリ4世は宗教戦争終結後、様々な改革に着手します。
- 農民への減税
- 家畜や農具の差し押さえ禁止
- テュイルリ宮の改装
- ポン・ヌフ、国王広場(ヴォージュ広場)、王太子広場の建設
- 自身の威光を称えるモニュメントなどの建設
また、重要な財政政策として「ポーレット法」を策定しました。
これが中々面白い法律で、
- 官職を世襲制に出来る
- 官職の権利を売買しても良いけど余計に税金は払ってね
現代でそんなことやったら何言われるか分からない法律です。
結果、役立たずの金持ちが官職についたりと問題は起きたようですが、民衆には人気の王だったようです。
その後1610年5月14日、馬車に乗っていたところラヴァイヤック(François Ravaillac)という狂信的なカトリック信者に短剣で胸を刺されて殺されてしまいました。
アンリ4世はヴェール・ガラン(愉快な詐欺師)とも呼ばれていました。
コロコロ宗旨替えしたことへの皮肉だと思いますが、ラヴァイヤックはこれを心よく思っていなかったわけです。
このラヴァイヤックの処刑が行われたのがグレーブ広場です。今は市庁舎前広場になっています。
処刑会場のグレーブ広場(現:市庁舎前広場)
ラヴァイヤックは、壮絶な拷問の末に馬4頭に手足を繋がれた4つ裂きの刑にされるというエグイ処刑をされました。
ただし、馬に四方から引っ張られても手足がダランと伸び切っただけでした。
それを見ていた民衆が苛立って処刑場に乱入し、棒や短刀でボッコボコにしたあとズタズタに引き裂いてしまったそうです。
さらに、その残骸を市中引き回ししたあと最後は燃やしてしまいました。
ちなみに、この市庁舎前の広場は冬の時期になるとスケートリンクになっています。
今となっては、かつて酷い処刑が頻繁に行われていたことを知る由もありません。
その後、処刑会場はグレーブ広場から観光名所の1つコンコルド広場に移されることになります。
コンコルド広場はギロチン専門の処刑会場となっています。
ここで、ルイ16世やマリーアントワネット等の著名人が処刑をされました。
コンコルドで行われた処刑の記事はコチラをどうぞ
サッカーのアンリ(Thierry Henry)
私にとってアンリといえば、元フランス代表で現ベルギーコーチのティエリ・アンリが挙がります。
いつも黒い手袋をしてプレイしていたのを思い出します。
2018W杯の準決勝がフランスVSベルギーでしたが、アンリおるやんとシャルル・ド・ゴール空港で観戦していました。
で、そのアンリを受け継ぐアンリ2世として呼び声高いのが2018W杯で大活躍したエムバペ(Mbappé)選手です。
個人的な意見を述べさせてもらうと、
- アンリ(Henry)
- シャルル(Charles)
- ルイ(Louis)
は歴史上に数多く出てくるので、出来ればエムバペをアンリ二世も呼ぶのはやめていただきたいw
次回は、ステンドグラスがすごいサント・シャペルへ向かいます。
関連商品・・・アンリ・シャルパンティエてデパートで良く見かけますが日本企業とは知らなかった。